世界遺産 “石見銀山”

世界遺産

世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物。
現在を生きる世界中の人びとが過去から引継ぎ、未来へと伝えていかなければならない人類共通の遺産です。

石見銀山遺跡は、環境に配慮し、自然と共生した鉱山運営を行っていたことが特に評価され、2007 年7 月に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、国内では14 件目、鉱山遺跡としてはアジアで初めての世界遺産に登録されました。

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世界遺産認定証

世界に知られた石見銀山

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ティセラ/日本図(1595年)
「Hivami」(石見)付近に「Argenti fodinæ」(銀鉱山)の記載あり
(島根県立古代出雲歴史博物館所蔵)

石見銀山は、1526 年、博多の豪商神屋寿禎に発見されて以来、約400 年にわたって採掘された日本を代表する鉱山遺跡です。
大航海時代の16 世紀、日本の銀鉱山としてヨーロッパ人に唯一知られた存在で、当時ヨーロッパで作られたアジアや日本の地図に、石見銀山付近を指して「銀鉱山王国」「銀鉱山」と記されていることからも明らかです。

また、石見銀山で生産された銀は高品質で、東アジア交易において最も信用が高く、石見銀山の所在する佐摩村(さまむら)にちなんでソーマ銀と呼ばれ流通しました。
16 世紀半ばから17 世紀前半の全盛期には、石見銀山で産出された銀をはじめとする日本銀が、世界の産銀量の約3分の1 を占めたといわれています。

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上空から見る石見銀山(北西から)

生産から搬出に至る鉱山運営の全体像を示す世界遺産のコアゾーン

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港と港町

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沖泊

石見銀山で産出した銀・銀鉱石の積み出しに利用された二つの港湾と、これに隣接して発達した港町および港湾集落。

街道(石見銀山街道)

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石見銀山街道「鞆ケ浦道」

石見銀山から二つの港湾に向けてつながる、銀・銀鉱石と諸物資の輸送路。

銀鉱山跡と鉱山町

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銀山柵内(上空から見た仙ノ山)

16世紀前半から20世紀前半にかけて操業された銀鉱山の開発の諸様相を良好に残す鉱山本体と、それに伴って発達した鉱山町および支配関連の山城跡。

世界遺産としての価値

世界的に重要な経済・文化交流を
生み出したこと

16世紀、石見銀山では東アジアの伝統的な精錬技術「灰吹法」を取り入れて銀の現地生産を軌道に乗せ、良質な銀を大量に生産しました。その銀は、貿易を通じて東アジアへ流通し、さらにヨーロッパ人も貿易に参入したことで、東西の経済・文化交流が行われるようになりました。

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丁銀3点(左から文禄石州丁銀、御取納丁銀、御公用丁銀)

伝統的技術による銀生産方式を
豊富で良好に残すこと

採掘から精錬までの作業がすべて人力・手作業で行われた石見銀山では、製錬工房が銀山現地に多数集まりました。今も山中には露頭掘り跡や坑道跡が600カ所以上残り、隣接してかつて製錬工房や生活の場であった平坦地が1,000カ所以上も残っています。

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龍源寺間歩

銀の生産から搬出に至る全体像を
不足なく明確に示すこと

採掘から精錬まで行われた鉱山跡と、これを外敵から守った城跡、物資を輸送した街道、港など、石見銀山遺跡は鉱山運営の全体像を明確に示しています。また、森林資源が適切に管理されたことにより、今も鉱山遺跡と豊かな自然環境が一体となった貴重な文化的景観を形成しています。

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鞆ケ浦港と集落
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大森の町並み