
大久保石見守に仕え代官として石見銀山はもとより伊豆、佐渡金銀山の開発にあたり功績を上げた吉岡隼人の墓
元は吉岡隼人と名乗り、毛利氏に仕えていましたが、徳川家康の石見銀山支配にあたり、大久保石見守に仕え代官として石見銀山はもとより伊豆、佐渡金銀山の開発にあたり功績を上げました。
慶長6年(1601)に伊豆湯ヶ島に見分に出かけ、その時に授けられた「伝馬朱印状」は今も伝わっています。また、将軍、徳川家康に拝謁した際に「出雲」の称号を賜り、同時に拝領した「辻が花染丁字紋道服」は、国の重要文化財として東京国立博物館に収蔵されています。
吉岡出雲の墓は、現在唯一見学できる坑道として、多くの観光客の注目を集める龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)から北にわずか約100mの旧極楽寺境内にあります。まさか、こんな竹やぶの中に史跡があるなどとは、観光で訪れた人々はほとんど気付かないでしょう。