
明治20年石見銀山は、大阪の藤田組に権利が譲渡されて大森銀山となり仁摩町大国の柑子谷永久稼所が開発の中心となりました。同35年には発電所を建設、電導式ポンプによる揚水で再び活況を呈しました。
明治20年石見銀山は、大阪の藤田組に権利が譲渡されて大森銀山となり仁摩町大国の柑子谷永久稼所が開発の中心となりました。同35年には発電所を建設、電導式ポンプによる揚水で再び活況を呈しました。
※開催日順で掲載
2025.3.1 - 6.29
ガラス作家の五木田淳子氏は「透き通って、キラキラ輝くガラス自体の魅力を削ぐことなく、等身大で、どなたかの心にそっ...
2025.4.3 - 6.30
石見銀山デジタルスタンプラリーチラシ
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2025.5.10
出雲市多伎町を流れる田儀川の支流、宮本川に沿って道を進むと、幾段もの石垣が連なる空間が現れます。そこは田儀桜井家...